秋戸郷跡 伊豆山エリア
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北条政子と大姫が身を潜め暮らした場所
1180年(治承4年)8月17日に以仁王の呼びかけに応える形で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、伊豆国の目代・山本兼隆を討って相模国への兵を進めます。8月23日には300余りの兵とともに石橋山の合戦で大庭景親と対峙しますが、10倍近い軍勢に敗れ安房へと逃れることに。その間、北条政子は娘の大姫と走湯権現(伊豆山神社)に身を潜めながら、頼朝の安否を気遣っていました。その後、頼朝の師であった走湯権現別当の文陽房覚淵(もんようぼうかくえん)の計らいにより、政子らは平家の手から逃れるべく9月2日に「秋戸郷(あきとのごう)」へ移されます。覚淵は、頼朝の挙兵に参じた加藤光員と景廉の兄弟でもありました。
足川を南の境とする走湯山の神域東南隅にあり、この地に入れるのは浜側のルートだけ。船着き場が近く、神威を後ろ盾に覚淵の保護も行き届くため、平氏方の捜索の目をくらませることができました。土肥実平の息子・遠平から、頼朝が安房に逃れるまでの経過を知らされたものの、船に乗った先のことは分からず、政子らは落ち着かない夜を過ごしたのではないでしょうか。頼朝は、政子らが秋戸郷へ移ってからおよそ1カ月後の10月7日に鎌倉へ入ります。政子とようやく鎌倉で再会できたのは、10月12日のことでした。
関連人物
基本情報
住所 | 静岡県熱海市伊豆山189 |
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