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源頼朝が敗戦に追い込まれた合戦の地

1180年(治承4年)8月23日、山木兼隆を討ち取った頼朝軍が大庭景親や伊東祐親らの平家軍と戦った「石橋山合戦」の地として知られています。

伊豆・相模の武将たちの援軍を得て300 余騎を従えた頼朝は、鎌倉に向かう途中の石橋山で、前方を3000余騎の大庭景親軍に、後方を300騎の伊東祐親に挟まれてしまいます。10倍を越える敵の軍勢に大苦戦を強いられた頼朝軍は箱根山中に敗走。しかし、箱根外輪山の複雑な地形と、土肥一族や源氏方の人々によって助けられ、真鶴から海路で安房国(現在の千葉県)へと落ちのびることができました。そして、ここから勢力を盛り返し、平家討伐と鎌倉幕府設立という偉業を成し遂げていきます。

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多くの命を奪った合戦

頼朝軍の先陣・佐奈田与一義忠は、敵将の俣野景久を組み伏せるも刀についた血が固まって鞘から抜けず、敵方の兵によって25歳の命を散らしました。その家臣である文三家康は敵陣に斬り込み、8人を討ち取ったのちに壮烈な最期を遂げます。頼朝は1190年(建久元年)に走湯権現への参詣の帰りに二人の墓を訪れ、落涙したと伝えられています。

関連人物

基本情報

住所 神奈川県小田原市石橋
HP https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/historic_battlefield/p10043.html
駐車場 なし
トイレ なし

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