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伊豆国の目代を務めた山木兼隆が建立

平安時代末期に伊豆国の目代(もくだい)を務めた山木(八巻)兼隆が、1154年(久寿元年)に建立した寺院。兼隆は、源頼朝が源氏再興の挙兵をした際、最初に討ち入られたとされる人物で、境内には供養塔が建てられています。
それから170年余りを経て荒廃していたところを、1330年(元徳2年)に足利尊氏の祖父・家時が切り拓き、雲厳寺(栃木県那須)から佛乗(ぶつじょう)禅師を招いて再興するも、再び天下争乱の世が訪れ衰退してしまいました。

時を経て、後北条氏の祖として知られる戦国時代の武将・北条長氏(早雲)が諸堂伽藍を創建時と同様に復興し、境内地2万5261坪と門外の寺領を寄付するなどして中興しました。早雲は、京都大徳寺第83世となった禅宗の僧・以天宗清(いてんそうせい)を住まわせたともいわれています。しかし、豊臣秀吉の小田原征伐によって香山寺は宝物などを消失。1597年(慶長2年)に韮山城主の内藤信成の手によって再興されました。争乱にさらされながら荒廃と再興を繰り返してきた境内からは、兼隆が館を構えていたと伝えられる山木地区を一望できます。

棟梁を討たれ「八巻」姓へ

山木(八巻)兼隆は、平氏の一族である平信兼の子で、親子間の不和により伊豆韮山に遠流されましたが、京都での政変により、伊豆国の目代(国を収める長官の代官)として取り立てられました。源頼朝の挙兵により討たれた際、山木一族は追っ手から逃れて秩父の山中で過ごしたのち、甲斐国(現在の山梨県)で「八巻」姓になったと伝えられます。

山木判官兼隆館跡

山木地区に構えていたという山木兼隆の館の正確な位置はわかっていませんが「天満坂の上」「上ノ山」にあったと伝えられています。現在、その周辺一帯は寺院や住宅地となっています。
住所:伊豆の国市韮山山木

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基本情報

住所 伊豆の国市韮山山木868-1
HP https://kozanji.or.jp/
駐車場 30台ほど
トイレ あり

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