双柿舎 熱海エリア
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細部まで逍遥の手で設計された終の住処
シェイクスピアの翻訳をはじめ、文学や演劇、教育など多方面にわたり多くの業績を残した文豪・坪内逍遙。彼は開成学校(現在の東京大学)の学生だった20歳の頃、病気療養の長兄に付き添って訪れたのを機に、たびたび熱海で過ごすようになります。
1912年(明治45年)1月には荒宿(現在の銀座町)に別荘を構え、シェイクスピア劇の翻訳や戯曲「名残の星月夜」、「義時の最後」などを著しました。熱海の発展によって閑静だった荒宿が次第に賑やかになると、夜ごとのざわめきを避けるため、1919年(大正8年)には水口村(現在の水口町)に300坪の土地を購入。翌年完成した別荘を「双柿舎」(そうししゃ)と名づけ、ここに移り住みました。
庭も建物も逍遥の設計によるもので、庭の一木一草に至るまで細心の注意を払ってつくられました。双柿舎の由来は、敷地内にあった樹齢300余年といわれる2本の柿の大樹。この柿をこよなく愛した逍遥は「吾(わ)なきのち 千歳を生きて世のむかし 里のむかしを語れ老い柿」という歌を詠んでいます。
門の扁額は、逍遥が創設に携わった東京専門学校(早稲田大学の前身)文学科に門下生として入学し、逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講した、書家・歌人・美術史家の會津八一(秋艸道人)の筆。
1928年(昭和3年)に完成した逍遙書屋は、和漢洋を折衷した印象的な景観で逍遥苦心の作といわれます。塔の胴体と屋根は「和」を、勾欄(こうらん:欄干)と亀腹(かめばら:基礎部分や柱脚部)は「漢」を、屋上のバトルメント(胸壁)は「洋」を表現。塔上にはシェイクスピアの『キングリヤ』の文句から思いついたという翡翠(かわせみ)の風見が掲げられています。
(写真/早稲田大学演劇博物館所蔵:EN-05299、F73-00284、F73-00424)
熱海の地に今も眠る近代演劇の父
坪内逍遥が初めて熱海を訪れた1879年(明治12年)当時は神奈川までしか開通していなかった汽車に乗り、小田原まで人力車で、そこから先は山駕籠に揺られての旅路でした。その後、折に触れて熱海を訪れ、別荘を構えた1912年(大正元年)以降は毎冬を熱海で過ごしました。晩年のほとんどを熱海で暮らし、現在は海蔵寺に眠っています。
関連人物
基本情報
住所 | 静岡県熱海市水口町11-17 |
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電話 | 0557-86-6232 (生涯学習課文化交流室/平日のみ) |
入館料 | 無料 |
開館時間 | 10:00~16:00 |
開館日 | 毎週土曜、日曜 (年末年始休館あり。その他、臨時休館する場合があります) |
アクセス | ・JR熱海駅バスターミナル1番乗り場より「梅園・相の原団地方面」行きバスで約10分、「来の宮駅」下車。徒歩約5分 ・JR熱海駅よりタクシーで約8分 ・JR来宮駅より徒歩約5分 |
備考 | 見学は庭園と書屋のみ。 |