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相模灘に臨む洞窟の奥から湧き出る神湯

日本三大古泉のひとつとして知られる「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式の源泉。奥行き5mほどの洞窟の奥から、いまも約70度の源泉が毎分約170リットル湧出しています。山中から湧き出した湯が海岸へ飛ぶように走り落ちるさまから「走り湯」と名付けられました。

伝承によれば、その起源はいまから1300年以上前の699年(文武3年)。伊豆大島へ流罪となった役行者小角(えんのぎょうしゃおづぬ)が、伊豆山の海岸から五色の湯煙があがるのを目にして伊豆山へ上陸し、「走り湯」を発見します。役行者小角はその近くに草葺きの小屋を建てて湯滝を浴び、日金山や岩戸山に登って神仏に祈る修行を続けました。その際、「無垢霊湯(むくれいとう)、大悲心水(だいひしんすい)、沐浴罪滅(もくよくざいめつ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と書かれた金色の文字が霊湯とともに流れ出たと伝えられています。現代の言葉に言い換えると「これは、無垢の霊場である。菩薩の大きな慈悲の水である。この場に沐浴すれば罪が滅び、六根(心に作用する器官である眼・耳・鼻・舌・身・意の総称)が清らかになる」という意味。

やがて修験者たちに広く知られるようになり、「伊豆の国 山の南に 出づる湯の 早きは神の 験(しる)しなりけり」と源実朝が詠んだように神湯として信仰されてきました。

硫酸カルシウムやマグネシウムが多い石膏泉で、骨の病気や怪我の傷、膿をもった腫れもの、水虫、皮膚病、胃腸や神経痛、リウマチなどに効果があるといわれています。

多くの武将や大名たちを癒した湯

源頼朝や北条政子、源実朝をはじめ、北条早雲などの領主たちも訪れた「走り湯」。1590年(天正18年)に豊富秀吉による小田原征伐によって伊豆山は焼け野原となりましたが、江戸時代には大名や歌人、千利休や古田織部などが参詣の際に入浴したといいます。江戸城構築のために伊豆山から石を運ぶ際は、けが人の治療にも活用されました。

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基本情報

住所 静岡県熱海市伊豆山594
HP https://www.ataminews.gr.jp/spot/133/
駐車場 駐車場なし
走り湯温泉洞窟は、観光スポットとしても楽しめます。足湯休業中。

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