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北条政子が寄進した伊豆最古の木造建築

わずか23歳で暗殺された鎌倉幕府の2代将軍・源頼家の母である北条政子が、我が子の冥福を祈って修禅寺に寄進したといわれる経堂。桂川を挟んで修禅寺と向かい合う鹿山(しかやま)の麓に鎮座し、現在の建物は江戸時代に再建された市有形文化財です。

建立の際に寄進された「宋版大蔵経(そうばんだいぞうきょう)」のうち、現存するのはわずか8巻。そのうちの「放光般若波羅蜜多経(ほうこうはんにゃはらみたきょう)」第23巻は県有形文化財に指定され、政子直筆といわれる書き込みも。また、門前の虎渓橋も政子によって架け替えられたといわれます。

本堂内中央に安置されている本尊は、本来何も持たないはずの右手に蓮華を持ち、拈華微笑の故事に基づく禅宋式の木造釈迦如来坐像(県有形文化財)です。
本堂の左手には頼家の墓があり、墓前にある「お伺い石」は、心の中で願い事をしながら持ち上げたとき、石が軽いと感じれば願いが叶うといわれています。

政争ですべてを失った2代将軍

21歳で征夷大将軍となった頼家は、突如病に倒れ危篤に陥ります。じつは毒を盛られたという説も。その間に義父の比企能員(ひきよしかず)と北条時政の対立が表面化し、妻子まで殺害されてしまいます。頼家は病床でその知らせを聞いて激怒するも、北条時政と政子によって出家させられ、修禅寺に幽閉。23歳で暗殺されたと伝えられています。

源頼家の墓

三基の中央が頼家のもので、両側が側室・若狭局(わかさのつぼね)と、息子・一幡(いちまん)の供養塔といわれます。毎年7月下旬の「頼家まつり」では、頼家公行列と墓前供養が行なわれます。

頼朝家家臣十三士の墓

『吾妻鏡』によると、頼家暗殺の6日後、主君の無念を晴らすべく頼家の家臣らが謀反を企てます。しかし挙兵前に発覚し、金窪行親(かなくぼゆきちか)らにより討ち取られたと伝えられています。

関連人物

基本情報

住所 静岡県伊豆市修善寺935
HP http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=2299
駐車場 なし
※近隣の有料駐車場をご利用ください。
トイレ 源氏公園内トイレをご利用ください。
備考 修善寺駅より伊豆箱根バス・東海バス「修善寺温泉行き」で8分。「修善寺温泉」で下車し、徒歩7分。

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