ホーム スポット一覧 静岡県の周辺エリア 福地山 修禅寺

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源氏の悲劇が重なる舞台となった名刹

修善寺という地名の発祥となった曹洞宗の寺院で、正式呼称は「福地山修禅萬安禅寺」(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。807年(大同2年)に弘法大師により創建されたと伝えられます。鎌倉時代には建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師によって臨済宗となり、室町時代には韮山城主の北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)禅師を招いて曹洞宗として再興されました。

1194年(建久5年)、源範頼(のりより)は異母兄である頼朝に謀反の疑いをかけられ、修禅寺の子院のひとつである信功院(現在の日枝神社境内)に幽閉されてしまいました。また、鎌倉幕府2代将軍源頼家が幽閉され、殺害された寺とも伝えられ、源氏滅亡につながる悲劇の場としても知られています。

現在のご本尊である大日如来坐像は、高さ103cm、膝の幅73cmのほぼ等身大で、ヒノキの寄せ木造りで目には水晶がはめこまれています。幻の仏師といわれた実慶によるもので、国の重要文化財です。ほかにも、宝物殿の瑞宝蔵には頼家の面と伝わるものや肖像画のほか、頼朝と主従関係にあった加藤景廉の孫にあたる善願上人の蔵骨器(県有形文化財)、神獣鏡や密教法具一式、徳川家康壺型黒印状(いずれも市有形文化財)なども見ることができます。

あらぬ疑いをかけられた蒲冠者

源頼朝の異母弟で、義経の異母兄でもある源範頼。蒲御厨(現在の浜松市)で生まれ育ち、蒲冠者(かばのかじゃ)とも呼ばれます。平家討伐で大きな武功を立てましたが、1193年(建久4年)に頼朝討ち死にの誤報が伝えられた際、悲しむ北条政子に「範頼ある限りご安心を」と慰めたことが謀反のの疑いを招き、幽閉されたと伝えられています。

日枝神社

修禅寺の隣にある神社で、弘法大師の建立といわれています。社務所で購入できる「一願成就お守り」は、地元の藁を使った手づくりで、数量限定のためなかなか手に入らない貴重なお守りです。
静岡県伊豆市修善寺

源範頼の墓

修禅寺の西側・小山地区で源範頼の墓と伝わる祠から1869年に骨壺が発掘され、その伝承を裏付けるものとなりました。現在の墓碑は、修善寺に縁のある日本画家・安田靫彦氏が設計したものです。
静岡県伊豆市修善寺

関連人物

基本情報

住所 静岡県伊豆市修善寺964
HP https://shuzenji-temple.com/
駐車場 近隣の有料駐車場をご利用ください。
トイレ あり
備考 ・入館料 修禅寺宝物殿:300円
・修善寺駅より伊豆箱根バス・東海バス「修善寺温泉行き」で8分。「修善寺温泉」から徒歩3分。

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